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SPECIAL INTERVIEW

ピアノに心を映して──
世界で輝くジャズピアニスト・
三輪洋子さん

静かに鍵盤に向かうその姿からは、確かな芯とあたたかさが感じられます。
ボストンを拠点に活躍するジャズピアニスト、三輪洋子さん。
クラシックから出発し、バークリー音楽大学でジャズに出会い、いまでは世界を舞台に自らのトリオ Yoko Miwa Trio を率いて活動しています。
華やかな経歴の裏にあるのは、ただひたすらに「ピアノを弾きたい」という純粋な想い。
音楽への情熱、努力、そして人とのつながりを大切にしてきた彼女の言葉には、これから音楽を志す人たちにとって、大きな勇気と希望が込められています。
今回は、三輪さんにバークリーでの学び、現在の活動、そして未来を担う若い世代へのメッセージを伺いました。

ピアニストになる〜
ジャズとの出会い

母が音楽好きで、家にはいつも音楽が流れていました。4歳からピアノを習い始め、しばらくして譜面が読めるようになると、もう楽しくて楽しくて、モーツァルトやベートーベン、なんでも弾けるじゃないですか! 学校の机の上で空想の鍵盤をなぞるほど夢中で、学校から帰るとすぐピアノに向かっていました。小さい頃から「私はピアニストになるんだ」とずっと言い続けていたんです。卒業文集にも、将来の夢はもちろん“ピアニスト”と書きました。

耳で聴いた音はそのまま弾けたので、家族から「これ弾いて」と言われると、すぐ鍵盤で再現していました。楽譜を読むより耳で覚えるほうが早かったですね。でも当時はクラシックしか知らなかったので、「ピアニスト」といえばコンサートピアニストくらいしか思い浮かばなかったんです。でも、とてもじゃないけどそこまではなれないだろうし… クラシック以外にも何かあるような気がしていましたが、その「何か」がまだわからなかったんです。

子どもの頃からの夢だった音大に進むために、大阪音楽大学を目指してたくさんレッスンを受けました。声楽やソルフェージュも学んで、音大に入ることがひとつのゴールのように思っていたんです。でも実際に入ってみると、少し物足りなさを感じました。もっとピアノを弾けると思っていたのに、思っていたのとは違っていたんですよ。

音大生活を送っていた19歳のある日、映画館で観た映画の中の「Smoke Gets in Your Eyes(煙が目にしみる)」という曲がとても美しくて心に沁みて、「この音楽はいったい何なんだろう」と衝撃を受けたんです。それがジャズとの出会いでした。その日からレンタルショップでジャズのCDを借りて、歌ものから聴き始めました。やがてバド・パウエルやハービー・ハンコックなどを聴くうちに、少しずつジャズの魅力に引き込まれていきました。 そしてビル・エヴァンスの音楽に出会ったとき、「これだ」と思ったんです。クラシックのように美しくて、でも自由で、自分の感情をそのまま音にできる。彼の音楽に深く共感してから、私は完全にジャズピアノの虜になってしまいました。

Koyoへの進学とアメリカへの扉

私に、最初にジャズを教えてくださったのは、小曽根真さんのお父様である小曽根実さんでした。19歳のときにジャズに出会い、音大在学中に初めてレッスンを受けたんです。真さんご本人にも、日本にいらっしゃるときは時々レッスンしていただきましたが、当時はとてもお忙しくて、めったにお会いできませんでした。

実さんが主宰するミュージックスクールが神戸にあり、そこでは教えたり、歌の伴奏をしたりしていました。また、三宮にあった「M.M.Join(エムエムジョイン)」というクラブでは、週末にウェートレスとしてアルバイトもしていたんです。お店では先生の演奏を間近で聴けるし、お客さんが少ないときには「ちょっと弾いてみなさい」とステージに呼ばれることもありました。音大生としてこれほど恵まれた環境はなかったと思います。音楽に囲まれ、家族のように接してもらいながら、大好きなジャズに浸る時間は本当に幸せでした。

音大を卒業してからは、ジャズ一本で活動していました。けれど、阪神淡路大震災で状況が一変します。ミュージックスクールもクラブもすべてなくなってしまい、活動の場を失いました。そのとき、「もう一度、一から理論を学びたい」「バンドで演奏する機会がほしい」と強く思うようになったんです。それが、Koyoに進学したきっかけでした。関西でジャズを専門的に学べる環境として、バークリー音楽大学と提携していたKoyoはとても魅力的でした。

Koyoでは、アンサンブルでの演奏経験を重ねながら、理論も基礎からしっかり学び直しました。卒業間際に、バークリー音楽大学の奨学金オーディションを受けてみないかと勧められたんです。最初は「アメリカなんて無理です」と断ったのですが、締め切りが近づくにつれて「やっぱり挑戦してみよう」と思い直しました。必死に練習して臨んだ結果、一位をいただき、奨学金を獲得できたんです。

バークリーにはずっと憧れがありましたが、まさか自分が本当に行くことになるなんて思ってもいませんでした。でも、周囲から「一位で受かったなら行かなきゃ」と背中を押され、1年だけのつもりで渡米を決意しました。──そんな私が、今もアメリカで音楽を続けているのですから、人生って本当に不思議ですよね。

バークリーでの転機〜
弾けない時間がくれたもの

バークリー音楽大学に入学したとき、最初は「1年だけ勉強して帰ろう」と決めていました。でも入学して間もなく、想像もしなかった壁にぶつかりました。毎日が楽しくて、仲間とセッションばかりしていたら、両手に腱鞘炎を患ってしまったんです。痛みで鍵盤に触れることもつらくなり、治療を受けてもなかなか回復せず、ほとんど1年間ピアノが弾けない日々が続きました。

そのときは本当に苦しかったです。でも今振り返ると、あの時間が私を新しい世界へ導いてくれたのだと思います。弾けないなら、別の形で音楽を続けようと考えて、作曲や編曲、アレンジの授業をたくさん取るようになりました。それまで「弾くこと」がすべてだった私にとって、「書くこと」で音楽を表現するというのはまったく新しい挑戦でした。

作曲を学びながら、自分の中から生まれる音に耳を澄ますようになり、少しずつオリジナル曲を書くようになりました。それが今の私の音楽の軸になっています。もちろん、スタンダードをアレンジして演奏することもありますが、やはり自分のオリジナルを弾いたときに一番お客様とつながれる気がするんです。聴いてくださる方が喜んでくれるのが何より嬉しくて。

だから、今は私の生徒たちにも「ぜひ自分の曲を書いてみて」と伝えています。自分の中から生まれた音こそ、その人自身を最も表すものですから。弾けなかった時間があったからこそ、私は“自分の音”に出会えたのだと思っています。

世界の才能に出会って〜
バークリーでの学び

私が通っていた当時のバークリー音楽大学は、まさに“パフォーマーのための学校”という雰囲気でした。今のように映画音楽やプロデュース、ゲーム音楽といった多様な専攻があるわけではなく、ほとんどの学生が演奏(パフォーマンス)か作曲(コンポジション)を専攻していました。だから、みんな本当に演奏が上手くて、最初の頃は「このレベルについていけるのかな」と圧倒されるばかりでした。

Koyo時代にも、いろんな個性や才能に出会うことができて、自分の小さな世界が一気に広がった感覚がありました。あの経験があったからこそ、バークリーで世界中から集まる学生たちの中に飛び込んでも、なんとか頑張っていけたのだと思います。国も文化も違う仲間たちが、それぞれの音楽観を持って全力で表現している。その中で、自分の音をどう磨くか、毎日が挑戦でした。

とにかく練習の日々でしたね。バークリーの練習室は夜中まで開いているので、夜の1時や2時まで残って、最後に鍵を閉めて帰るのが日課でした。音楽漬けの毎日でしたが、不思議と疲れは感じなかったです。上手くなりたい、追いつきたいという気持ちの方がずっと強かったからでしょうか。

卒業を目前に控えた頃には、バークリーのボーカル・デパートメントで伴奏のアルバイトをするようになり、卒業後は正式に伴奏スタッフとして仕事をいただけるようになりました。その中で、ジャズ・ボーカリストのケヴィン・マホガニーさんなど、著名なミュージシャンとも出会い、一緒にレコーディングをする機会にも恵まれました。

世界中から集まった音楽家たちと共に学び、刺激を受け、挑戦し続けたバークリーでの日々は、私の音楽人生の大きな転機でした。あの場所で得た「音楽の多様性」と「世界レベルの基準」は、今も私の創作の糧となっているんです。

ボストンで奏でる、
教えるというもう一つの表現

しばらくバークリーから離れていたんですが、2011年に突然、バークリーのピアノ科から電話がかかってきて、「教えてみませんか?」とオファーをいただいたんです。 バークリーという学校は、常にいろんな人の活動をチェックしているんですよ。卒業生に限らず、今どんな人が注目されているのか、どんなミュージシャンが活躍しているのか、そういう動きをとてもよく見ているんです。

私は2000年に自分のトリオを結成して以来、これまでに9枚のアルバムをリリースしてきました。ボストンではおかげさまで、いまでも多くの方に知っていただいていて、そうした活動をバークリーが見ていて声をかけてくださったんです。 それでピアノ科で教え始めて、2015年にはフルタイムの常勤講師になりました。実はバークリーではほとんどの先生がパートタイムで、常勤になれるのは応募者の1%ほどなんです。そうした中でフルタイムのポジションに選んでいただき、本当に光栄でした。

いまは週3日、だいたい18時間ほど教えています。1日に10人ほど、6時間のレッスンで、学期ごとに30人くらいの学生を担当しています。 学生たちは本当に才能豊かな子が多くて、それぞれの良さをどう伸ばしてあげられるかを常に意識しています。型にはめて教えるというより、その子の「ここが素敵」という部分を見つけて、そこを大きくしてあげたいんです。アメリカでは特に、「欠点を直す」より「良いところを伸ばす」という考え方が大事にされていると思います。

それに、みんなが必ずしもパフォーマーを目指しているわけではありません。専攻は別でも、ピアノを学ぶことで自分の音楽性や将来に役立つものを掴んでほしい。ですから、単に課題をこなすレッスンではなく、「自分のこれからにどうつながるか」を意識できるような教え方を心がけています。

ピアノを通して歌う、私のジャズ

私は、ただ「ピアノが弾きたい」という思いからこの道に進みました。それがクラシックなのかジャズなのか、そんなことはまったく考えていませんでした。ただ鍵盤に触れて音を奏でることが、何よりも幸せだったんです。 最初はクラシックを学んでいましたが、やがてジャズに出会って、心の底から「これだ」と感じました。ジャズを弾いている時、私は本当に自分らしくいられるんです。音を通して感情を表現できる、その瞬間が一番いきいきしていて、自分の中の“生きる力”が湧いてくるような気がします。

クラシックには、作曲家の意図をどのように再現するかという決まりがありました。でも、ジャズには「自分がどう感じるか」という自由があります。弾くたびに違う表情があり、同じ曲でもその日の気持ちでまったく違う音になる。そこに、私は心を奪われました。 「歌わないの?」と聞かれることもありますが、私はこの手を通して歌っているんです。 ピアノの音ひとつひとつに、自分の心の声を込めて。 言葉ではなく、音で語る──それが、私にとっての“歌”であり、“ジャズ”なんです。

夢は続いていく──
音でつながる未来へ

私はずっと Yoko Miwa Trio として活動を続けています。結成してからもう20年以上、地道に一歩ずつ歩んできました。最初は仕事も少なくて、何度も「もう無理かもしれない」と思ったこともあります。それでも、練習だけは絶対にやめませんでした。 母がいつも「誰かがきっと見てくれているから、信じて頑張りなさい」と励ましてくれて その言葉を信じて、ひたすら弾き続けてきたんです。努力を続けていると、本当に少しずつ道が開けていくものですね。ある日ふと、「夢にも思わなかったような仕事」が舞い込んでくる。そういう瞬間を何度も経験してきて、「続けること」の大切さを実感しました。

最近では、バークリーの若いシンガーとデュオを組んでもう一つの活動しています。 彼女は今、学校でも注目されている才能豊かな歌い手で、二人で録音したりライブをしたりと、新しい音の世界を一緒に探っています。トリオとはまた違って、デュオはとても自由で、即興の楽しさがあります。スタンダードをアレンジしたり、その場の空気で音を変えていったり──音と心が一体になるような瞬間があって、本当に刺激的です。 トリオは三人で世界をつくる楽しさ。デュオは音で会話する親密さ。どちらも、私にとってかけがえのない音楽の時間です。

音を聴く心、感謝を奏でる人へ―
未来のミュージシャンたちへ

今の若い人たちは、本当に恵まれた環境の中で音楽を学べると思います。ビル・エヴァンスのソロも、YouTubeや楽譜ですぐに手に入る。でもね、本当に大切なのは「耳で聴いて、自分の中で感じて、再現する力」だと思っています。

私の時代は、そうした教材なんてほとんどありませんでした。それでも、「どうしてもこのフレーズを弾きたい!」という思いで、何百回も同じ1小節を聴いては止め、また聴いて、指に覚えさせていった。そうして少しずつ、スウィングの感覚やニュアンスを体に染み込ませていったんです。 だからこそ、若いみなさんにも「耳で覚える」ことを大事にしてほしい。譜面を追うだけではなく、「音を聴く力」「感じ取る心」を育ててください。そこにこそ、本当の音楽の深みと、あなたらしさが宿ります。

そして、もしプロのミュージシャンを目指すのなら、どんな小さな仕事でも、どんなステージでも、全力で取り組むこと。“これでいい”ではなく、“これが私のベスト”と思える演奏を積み重ねていくこと。そうすれば、必ず誰かが見ていてくれます。

いい仕事をすれば、必ず次のチャンスにつながっていきます。一緒に音を奏でる仲間、サポートしてくれるスタッフ、聴いてくださるお客さま。音楽は、すべての人との関わりの上に成り立っています。だから、いつも感謝と敬意を忘れないでほしいんです。 音楽は、心をつなぐもの。

どうか自分を信じて、音を愛して、まっすぐに歩み続けてください。 その先に、きっとあなたにしか奏でられない「音の人生」が待っています。

三輪洋子、ピアニスト/作曲家/教育家
Yoko Miwa Trio は2000年に結成、ボストン、ニューヨーク、ワシントンD.C. やヨーロッパを拠点に活動。

  • 2011年から、バークリー音楽大学のピアノ科の准教授/Associate Professor。歴史上、日本人女性としてバークリーのピアノ科で教鞭を取るのは、三輪が秋吉俊子さんに次ぐ2人目である。マンツーマンのレッスンを指導、毎学期、週に30人以上の生徒を教えている
  • 三輪洋子トリオの2021年リリース『Songs of Joy』全米ジャズ・ラジオ・チャートで、1位を獲得。
    ダウンビート・マガジンの2021年のベスト・ジャズ・アルバムに選ばれた。
  • 三輪洋子は、2022年、2023年と2024年の(アメリカのジャズ雑誌)ダウンビート批評家投票で「上昇中のピアニスト」ライジングスター・ピアニストに3年連続で選ばれた。

www.yokomiwa.com
Instagram : yokomiwajazz
Facebook : Yoko Miwa Trio

Songs of Joy - Yoko Miwa Trio

Songs of Joy - Yoko Miwa Trio

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